雑誌”世界秘境シリーズ”に記載されたものを原文のまま載せています。
文章は、釣り名人の名を欲しいままにした”服部善郎名人”によるものです。
       

”鯛の聖地”太東根に立つ紀州漁師”


 

“海の王者”鯛を求めつづけた      中井捨松の半生

 

 

 

服部善郎

 

新造下し風景

 太東岬を左に船首を東に向け漁場へ急ぐ紀州タイ釣り舟『松栄丸』。五・五トン、三十馬力デイーゼルのこの新造船の乗り心地は上々。

 船尾には五彩の大漁旗が潮風にはためき、機関場の上にどっかと腰を据えて、舵棒を握る船頭中井捨松の潮焼けした顔からは、ついさき程の、大原港(千葉県夷隅郡)での“新造下し”の興奮はすっかり影をひそめ、獲物を求める鋭い漁師の表情にもどっていた。

 磁石は東を指している。時計は午後三時、港を出てから一時間二十分たった。西を振り向くとはるかに房総の山脈がかすんでいる。″大根〃だ。

 「機械止めろよ」

捨松がどなる。

 「潮の色がいいなあ。きょうは喰うぞお」

 ゆったりした造り、ペンキの香もまだ抜けない新造船の初漁に、舟方たちは張り切っている。

逞しく日焼した中井捨松氏

 

鯛一本釣り―

 

豪華な点ではまさに海釣り極地だ。

これはわずか十四の時から黒潮にもまれ、鯛を求めジプシーのような放浪を続けて、文宇通り波乱万丈の生活を送った一漁師の半生記である。

 

 

船首から三メートル四方ほどのキヤンバス製の ″潮帆″が海に投入された。続いて

浮きダル、船首を風上に向け潮に乗って船が流れ始める。胴の間に仁王立ちになった若い舟方が、勢い良くドンブリを打ち始めた。一キロ程の釣鐘型のナマリを思い切り海中にたたぎ込みアワ立てるのだ。海底近くのタイはこれをみて、「イワシの大群」と思い、いつもの警戒心をなくして夢中になるという寸法。

紀州漁師独得の漁法だ。

 舟からは一斉にエビをつけたハリが降された。ロを開いて待っているところへ大好物のエビが降りてくるからたまらない。タイは先を争ってハリにかかる。

「喰った」

 釣り手はビシマ糸をキリキリと張りながら強いタイの引き込みをタメている。素早く口開けの獲物を取りこんだ捨松は、ハリとオモリを直結したカブラにエビを刺し海へ投げ込んだ。

「バタ、バタ、バタ……」

 つぎつぎと釣り上げられた一キロがらみの中ダイが、ピンクの魚体をくねらせて暴れ廻る。

「よお喰うのお」 と嬉しそうな捨松、新造船の門出を祝うかのようにタイはなおも釣れ続き、イケスはたちまち赤く染った。

 

名礁“大根”発見の日 世界の秘境シリーズ

紀淡海峡を舞台に、十四の時からタイ釣りを仕込まれてきた捨松が、故郷の紀州和歌の浦をあとに“新天地”を求めて船出したのは、昭和四年の夏。

 狭い漁場に大勢の漁師がひしめき、紀淡の海は荒廃していたのだ。

 「伊豆の大島じゃタイをスコップでしゃくってるそうだ」

 との他所者の噂をたよりに、兄の清松ら六人と一トン足らずの舟三隻で文字通りの波乱の人生に船出したのだ。

 オモチャに毛の生えたような磁石と海図、あとはカンに頼っての航海。とに角、勝浦、烏羽、御前崎と新しい漁場を探りながら、伊豆大島の波浮港にたどりついた。

 ここではじめて船出の夜に長男が生まれたとの便りを受けて捨松が大張り切り。

タイを釣りまくった。が男ばかりの単調な仕事の明け暮れにはじめの張りつめた気もいつしかゆるみ、悪いくせが出はじめた。魚を売ってハラ巻きに金が貯ると仲間と誘い合って女郎を買い、丁半バクチにうつつを抜かす毎日が統いた。これでは金を貯めるなどとんでもない話。

やがてにっちもさっちもゆかなくなり、波浮の魚問屋に泣きついて五十円を借り、しよう然と和歌の浦に舞いもどった。しかし一年ぶりに帰った紀州の海では良い漁がなく、借金も返せない。

 仲間は思案の未、二度目の遠征を計画した。 

「とにかく金華山まで行こう」 途中、御前崎でも下田でもタイは良く釣れた。しかし折角釣っても市場が遠かったり、舟着場が悪かったり、その上、土地の連中の白い目が他所者の彼らになかなか安住の地を与えなかった。

“海のジプシー”そんな彼らの生活だった。このときちらっと心の片隅に浮んだのはいつか見た観光地図。

「そうだ、あれには千葉県の勝浦の沖にタイの絵か書いてあったっけ。勝浦へ行けばきっとタイがいる。勝浦へ行こう」あらう外房一帯の冲は、やはり捨松らが探し求めていた タイの宝庫だったのだ。

 しかし、タイはどこにでもいるわけではない。“根”と呼ばれる狭い岩礁帯にしか棲息しないのだ。良い“根”は従って漁師たちの“米ビツ”であり、他人には絶対教えない。それだけに捨松たちは新しい海に入ってー根を探るのに苦心したが、とんだケガの巧名でついにいままで聞いたこともないような宝庫を探り当てた。

その日、三隻の紀州船は例によって勝浦沖で操業し、帰途についた。ところが、捨松ら二隻は港に入ったが残る一隻は、いつまでたっても姿を見せない。陽は落ち、だんだん海も暗くなる。不安はつのる一方、みんな堤防に出て祈るような気持ちで暗い沖をみつめている。七時……、八時……。やがてかすかにエンジンの音、

「帰ったぞう」

 みんなかけ出して船を迎えた。捨松は勿論先頭。ところがその舟のカメ(生けす)をのぞいて捨松は仰天した。見事なタイがまるでカン詰のようにぎっしりとつまっているのだ。

 「一体どうしたんだ」

「エンジンが調子悪くてなあ、大原の沖まで流されてやっと直ったところでビシマ入れると凄えナブラにぶち当ってよお、エサかなくなったんで帰ってきたんだ」

 こうして名礁“大根”紀州舟の絶好の稼ぎ場となった。

 やっと見つけた新天地、捨松らは早速紀州から家族を呼び寄せたが、この頃になると紀州漁師の優れたタイ釣りの技術は評判となり、東京の釣好きの旦那連中も一人、二人と噂を聞いてやって来るようになった。

勝浦、紀州船の大乱闘 

こうしたある日、冲に出て見ると鴨居(神奈川県横須賀)の船が数隻がたまって、なにかとてつもない大きな魚を釣っている。

良く見るとイシナギ、一尾七十キロから百キロはあろうかという巨魚だ。

ところが釣り方が解らない。そこでその夜、捨松は一計を案じ、なるべく若くて話の解りそうなのをつかまえ短刀直入に切り出した。

「女を抱かせるから、イシナギの釣り方教えろよ」 女と聞いては、一とたまりもない。

その若い衆は、親方が後生大事としまい込んでいるイシナギ道具をそっと持ち出すと、身ぶり手ぶり、地図まで書いて根の正確な場所、潮時、それに釣り方まで、イシナギ釣りのAからZまでを教えてくれた。金十円也の投資だった。

それから四、五年、捨松には平穏な月日が流れた。その頃の釣り客に東京の銀行の頭取でYさんという人がいた。この人か無類の大物釣り師で、捨松はなんとかしてイシナギを釣らせてあげたいと六月のある日、Yさんを乗せて勝浦沖に出漁した。

海は凪ぎ絶好のコンディシーョンすでに勝浦の船も十隻余り潮待ちしている。

大きなイカを丸ごと一尾、オートバイのスポークより太いハリに刺し準傭するうちに潮時到来。イシナギの根は狭いので勝浦船、紀州船、合せて十数隻の釣り船は十メートルぐらいずつの間隔をおいて一斉に糸を入れた。

「且那、ぼつぼつ来ますよ」         

 遠くの“山”を見て船の位置を見定めていた捨松がそういった瞬間、いきなりYさんの糸がうなりをあげて持ち込まれた。

 「大物だ!」

 Yさんの顔面は蒼白、目は血ばしって懸命に糸を繰り出す。なにしろ人間より、重い巨体が必死に暴れるのだから大変だ。このとき、こちらの釣れたのを見てすぐ横にいた勝浦船がぶつかりそうになるまで寄っで来た。

Yさんに釣らせたい一心の捨松は、

「糸がからむぞお、あまり寄るなあ」 

 と一喝、しかし勝浦船は聞えぬふりをして寄って来る。

「どかんかい、このアホウ」

「アホウとはなんだ」 気の荒い達中だけにこうなったらたまらない。ついに船が接触した。

突然、勝浦船の船頭が提棒を振り上げるや否やこちらの船方に一撃を喰わせた。

さあ喧嘩だ。近くにいた二隻の紀州船と十隻余りの勝浦船もそれぞれに加勢し入り乱れて海上の大乱闘となった。

田舎相撲の大関を張っていただけに捨松も喧嘩なら人にはヒケをとらない。返り血をあびて阿修羅のように怒り狂う。

勝浦側が漁の上手な紀州漁師に対する日頃のウラミを晴らすのはこの時とばかり襲いかかれば、紀州側もここで負けてはいままでの努力が水の泡と必死の反撃。

船と海を血で染め、双方多勢の負傷者を出す大喧嘩だった。

勿論港に帰ればそのまま全員ブタ箱入り。ところがこの事件お客のYさんにしてみれば自分に魚を釣らせようと頑張った捨松の根性が可愛いい。ここにYさんの物量作戦がはじまった。

なにしろ銀行の頭取だけに金はある。毎日束京から車で、やれ「天ぷらだ」「スシだ」「果物だ」とそれも一流の店から取り寄せた超豪華版の差し入れをした。その間、家族の面倒も十分に見てもらえるのだから捨松らは何日ブタ箱に入っていても平気なもの。

 一方、勝浦側は警察のクサイ麦飯と働き手を失った家族の生活苦が気になって“ね”を上げ、事件も間に入る人があって収まった。

 この時Yさんが使った金は二百円余り。米一升が十五銭の頃の話だ。

 

向うの半島が太東岬大原港全景

クジラを追う

こうして捨松たち紀州者がすっかり勝浦にとけこんだ頃、戦争が姶まり一年余りたった。

その日は強い南の風か吹いていた。

「クジラでも浮いとらんかなあ」

 とぶハ幡冲の根ヘかかったときだ。前を走っていた長福丸がトリヤマを見つけ急行した。

トリが乱舞する海面にはイワシなどの小魚か必ずいて、その下にはカツオやブリ、タイなどの群れが小魚を追っているのだ。

括松の船も急いで後に続いた。トリヤマに近づくと波問になにか小山のような大きなものがただよっている。’

「なんだろう」

 良く見るとこれがなんと船の三倍もあろうかというクジラ。

生涯に一度あるかないかのチャンスだ。冗談が真実となって捨松たちは武者振いした。

 「こいつを港へ引いてゆけば家が建つ」「新しい船も出来る」三隻の紀州船は船を寄せて相談の結果、二隻がロープでクジラを引き、他の一隻は急いで勝浦から油を運んでくることになった。

機雷かなにかに触れたのかクジラは半死半生。

やっとの思いで腰尾に太いロープを巻きつけると二隻の船はエソジンを全開した。

ところか二隻合せてもわずか六馬力の悲しさ、船は一向に進まない。それどころか南風に逆に押し流される始末。さながら二匹のアリが巨大な昆虫にたかっているようなものだ。

しかし当の捨松たちは必死だ。意地になって頑張るが自然の力には勝てない。風はますま強く波も高まり時折、ざあざあとサシ板を越して波が襲いかかる。その度にキリキリと悲鳴をあげるロープ。クジラは小さな人間どもの力をあざ笑うかのようにどっかと浮いている。

 風はさらに強まりとうとう陽も落ちた。こうなっては万事休す。さすが強気の捨松自分の指を切られる思いで目をつぶってロープを切断した。

いよいよ釣り始める。

やっと安住の地が………

 こうしている間にも戦争はますます激しくなり、召集を受けた捨松は家族を和歌の浦に帰して中支へ出征した。一年で終戦、

帰国。再び勝浦に舞いもどった捨松はS旅館を訪ねた。

「よう帰ってきたのう。船造ってやるからいま一度勝浦で働かんか」

 主人の暖かい言葉に迎えられて、捨松ら一族の海の生活が始まった。

 新しい船の名は『松栄丸』捨松は夢中で働いた。こうして二年たった昭和二十二年、勝浦の北にある漁師町大原の魚問屋の世話で、松栄丸、春日丸、長福丸の三隻の紀州船は大原に初めてイカリを入れた。

 ここからは、“大根”も近い。

魚も良く釣れ、面白いように高い価で右から左へとぶように売れた。

食糧難のときだけに買い手は先を争って札ビラを切って買いあさったのだ。

 “戦後”の時代が過ぎて世の中が落ちつき、光男、勝、賭の三人の息子たちのうち二人は一人前の舟方に成長していた。ここで捨松は収入の安定するお客相手の釣り船屋に転身した。捨松の気っ風にほれ込んだ東京若荷谷のN先生が物心両面の援助をすればY新聞のIさんとHさんの二人がPRを引き受け、ますます繁昌する。

 船も二隻になった。家も建った。この隆昌ぶりに目をつけたある客に、世事にうとい捨松は危く乗取られそうになったが、これもN先生やIさん、Hさんらの活躍で無事切り抜けた。

 こうしてめでたく迎えた新造『松栄丸』披露の日。

 浜には二百人あまりの男、女子供たちがつめかけ、心から祝福してくれた。

浜を圧する純白の舶体。入道雲のたつ夏空に躍る五彩のノボリと大漁旗。

 船首では孫と一緒に捨松が紅白の祝い餅を投げている。

 N先生も勝も投げている。その度に大きくゆれる人波に長かった苦闘の跡を刻んだ捨松の陽焼した顔は幸せに輝やいていた。

 

世界の秘境シリーズより